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犬の肺の一部を切除?知っておきたい手術の話

Posted on 2026年5月1日

術前評価:精密な診断が成功の鍵

包括的なアセスメントと手術計画

肺葉切除術のような胸腔内手術は、犬にとって大きな負担となるため、術前の精密な評価と準備が手術の成功と術後合併症のリスク低減に不可欠です。この段階では、病変の正確な診断、全身状態の評価、麻酔リスクの評価、そして詳細な手術計画の立案が行われます。

1. 詳細な身体検査と血液検査

まず、獣医師は犬の全身状態を把握するために詳細な身体検査を行います。心拍数、呼吸数、体温、粘膜の色、リンパ節の腫脹、胸部の聴診による異常呼吸音の有無などを確認します。
血液検査では、完全血球計算(CBC)により貧血や炎症の有無を、血液生化学検査により肝臓、腎臓の機能、電解質バランスなどを評価します。凝固系検査(PT、APTTなど)は、手術中の出血リスクを評価し、異常があれば輸血や薬剤による修正を検討するために重要です。これらの検査結果は、麻酔薬の選択や輸液計画にも影響を与えます。

2. 画像診断の重要性

画像診断は、肺疾患の診断と手術計画において最も重要な情報源となります。
胸部X線検査(レントゲン): 病変の存在、おおよその位置、サイズ、胸水の有無などをスクリーニングする最初の検査です。しかし、2次元画像では病変の正確な位置関係や胸部構造との関連を詳細に評価することが困難な場合があります。
コンピュータ断層撮影(CT): CTスキャンは、肺葉切除術を検討する上で不可欠な検査です。CTは3次元的に肺病変を詳細に描出できるため、病変の正確な位置、サイズ、肺葉内での広がり、周囲の血管や気管支との位置関係を把握できます。また、リンパ節の腫大や他臓器への転移の有無、胸腔内の異常(胸膜肥厚、胸水、胸壁浸潤など)も評価できます。特に、3D再構成画像を用いることで、外科医は手術前に病変部の立体的なイメージを把握し、切除範囲やアプローチ方法を具体的に計画することが可能になります。これは、手術時間の短縮、出血量の低減、合併症リスクの減少に直結します。
超音波検査(エコー): 胸腔内疾患の評価において、特に胸水の有無や性状の確認、心臓機能の評価(術前心エコー検査)に有用です。肺実質の詳細な評価には限界がありますが、胸水穿刺や生検時のガイドとして利用されることもあります。

3. 気管支鏡検査、細胞診・生検

病変の確定診断のために、気管支鏡検査が行われることがあります。これは、細いチューブ状のカメラを気管から気管支へと挿入し、病変を直接観察する検査です。病変の様子を視覚的に確認できるだけでなく、ブラシ洗浄や生検鉗子を用いて組織の一部を採取し、細胞診や病理組織学的検査を行うことができます。これにより、腫瘍の種類の特定や、感染症の原因菌の同定が可能となり、より適切な治療方針を決定する上で役立ちます。

4. 心機能評価、呼吸機能評価

全身麻酔と胸腔内手術は心臓や呼吸器系に大きな負担をかけるため、術前の心機能評価は非常に重要です。心電図(ECG)や心エコー検査により、不整脈や心筋疾患の有無、心臓のポンプ機能などを評価します。
また、残存する肺機能で手術後も十分な呼吸ができるかを予測するために、呼吸機能評価(例:動脈血ガス分析)を行うこともあります。特に広範囲の肺切除が予想される場合や、既存の呼吸器疾患がある場合に検討されます。

5. 麻酔リスク評価と飼い主へのインフォームドコンセント

これらの検査結果をもとに、ASSA(American Society of Anesthesiologists)の物理的状態分類などの基準を用いて、犬の麻酔リスクを評価します。リスクが高いと判断された場合は、手術前に内科的な状態改善を図るか、より慎重な麻酔管理計画を立案します。
最後に、飼い主様に対して、診断結果、手術の目的、具体的な手術方法、予想される成功率、費用、そして術中に起こりうる合併症や術後の予後について、詳細かつ分かりやすく説明し、十分な理解と同意を得る「インフォームドコンセント」が非常に重要です。手術の代替療法がある場合には、それらについても説明し、飼い主様が最良の選択をできるようサポートします。

肺葉切除術の実際:手技とアプローチ

開胸術と低侵襲な胸腔鏡下手術(VATS)

肺葉切除術は、胸腔内というデリケートな部位で行われるため、高度な外科的技術と専門的な麻酔管理が要求されます。手術手技は大きく開胸術と胸腔鏡下手術(VATS)の二つに分けられ、それぞれに特徴と適応があります。

1. 麻酔管理の特殊性

胸腔内手術において最も重要な要素の一つが麻酔管理です。胸腔を開くと、胸腔内の陰圧が失われ、肺が虚脱するため、人工呼吸器を用いた陽圧換気が必須となります。また、手術中に病変のある肺葉を切除する際、その肺葉が動いていると手術が困難になるため、「片肺換気(One-lung ventilation)」が選択されることがあります。これは、目的の肺葉への空気の供給を一時的に止め、残りの肺葉でガス交換を維持する技術で、特殊な気管チューブ(ダブルルーメンチューブなど)や気管支ブロッカーを使用します。これにより、術野の確保が容易になり、手術の安全性が向上します。術中には、血圧、心拍数、酸素飽和度、呼気終末二酸化炭素濃度などを厳密にモニタリングし、常に犬の全身状態を管理します。

2. 開胸術(Thoracotomy)

開胸術は、胸壁を大きく切開し、直接的に胸腔内を観察・操作する伝統的な手術方法です。
アプローチ:
肋間切開(Intercostal thoracotomy): 最も一般的に行われるアプローチです。病変のある肺葉に最も近い肋骨の間(通常は第4~6肋間)を切開して開胸します。片側の肺葉の切除に広く用いられます。切開部位によって、前方の肺葉にはより前方(例:第4肋間)、後方の肺葉にはより後方(例:第6肋間)からアプローチします。
胸骨正中切開(Median sternotomy): 胸骨を縦に切開して開胸する方法です。このアプローチは、左右両側の肺に病変がある場合や、心臓、大血管、食道など胸腔内の正中にある臓器へのアプローチが必要な場合に選択されます。広範囲の術野が得られる利点がありますが、術後の疼痛管理や回復には時間がかかる傾向があります。
手術器具と術野の確保: 開胸後は、開胸器(rib spreader)を用いて肋骨間を広げ、術野を確保します。肺の保護のため、湿らせたガーゼで周囲を覆い、他の肺葉や心臓を傷つけないよう慎重に操作します。
肺葉の切離: 病変のある肺葉を特定したら、その肺葉に供給されている気管支と血管(肺動脈、肺静脈)を慎重に剥離・露出させます。これらを適切な部位で結紮し、または「自動縫合器(Surgical stapler)」を用いて切離します。自動縫合器は、血管や気管支を同時に切断し、かつ確実に縫合・閉鎖できるため、手術時間の短縮と空気漏れ・出血のリスク低減に大きく貢献します。切除された肺葉は、病理組織学的検査のために提出されます。
胸腔ドレーン留置: 肺葉切除後は、胸腔内に「胸腔ドレーン(Chest tube)」を留置するのが一般的です。これは、術後に胸腔内に貯留する血液や滲出液、あるいは残存する空気(空気漏れ)を排出するために不可欠です。ドレーンは皮膚を貫通して胸腔内に挿入され、閉鎖式の排液システムに接続されます。

3. 胸腔鏡下手術(VATS: Video-Assisted Thoracoscopic Surgery)

VATSは、数か所の小さな切開(ポート)から内視鏡と専用の器具を挿入し、モニター画面を見ながら手術を行う、低侵襲な手術方法です。
低侵襲性の利点と適応症: VATSの最大の利点は、胸壁の切開が小さいため、術後の疼痛が少なく、回復が早いことです。入院期間も短縮される傾向があります。適応症としては、比較的小さな肺腫瘍、限局性の肺膿瘍、肺嚢胞、ブラ切除など、病変が比較的単純で癒着が少ない場合に適しています。
器具と手技の概要: 通常、2~3個のポート(約1~2cmの切開)を作成します。一つは内視鏡カメラを挿入し、術野を拡大してモニターに映し出します。他のポートからは、鉗子、メス、自動縫合器などの専用器具を挿入して操作します。開胸術と同様に、気管支と血管を分離し、自動縫合器などを用いて切離します。切除した肺葉は、一つのポートをやや拡大するか、専用の回収バッグに入れて摘出します。
シングルポートVATS: 近年では、さらに侵襲を抑えるために、単一のポートから内視鏡と複数の手術器具を挿入して手術を行う「シングルポートVATS」も試みられています。これは高度な技術を要しますが、さらなる術後疼痛の軽減が期待されます。
限界と開胸への移行: VATSは非常に有用な手技ですが、病変が大きい場合、広範囲にわたる胸腔内癒着がある場合、あるいは術中に予期せぬ出血や問題が発生した場合には、安全を考慮して開胸術へと移行することがあります。

獣医領域においてもVATSの技術は進歩しており、適切な症例に適用することで、犬の術後QOLを大幅に向上させることが可能になっています。しかし、どちらの手術方法を選択するにしても、外科医の経験と専門知識、そしてチーム医療としての麻酔科医や看護師の協力が不可欠です。

術後の集中管理と合併症への対応

回復を支える包括的なケア

肺葉切除術は犬にとって大きな外科的侵襲を伴うため、術後の集中管理が回復を左右する重要な要素となります。術後の管理目標は、疼痛のコントロール、呼吸機能の維持、合併症の早期発見と対処、そして栄養と活動の適切なサポートです。

1. 疼痛管理

胸腔切開術後の疼痛は非常に強く、犬の回復を妨げる大きな要因となります。適切な疼痛管理は、犬のストレスを軽減し、呼吸の改善、食欲回復、早期の歩行を促すために不可欠です。
多角的鎮痛: 獣医療では、「多角的鎮痛(Multimodal analgesia)」が推奨されます。これは、複数の作用機序を持つ鎮痛剤を組み合わせて使用することで、痛みを効果的に抑え、個々の薬剤の副作用を軽減するアプローチです。
主な使用薬剤: オピオイド系鎮痛剤(フェンタニル、ブプレノルフィンなど)は強力な鎮痛作用を持ち、術後早期の急性疼痛管理に中心的に用いられます。非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)は炎症と疼痛を抑えるために使用されますが、腎機能や消化器系への影響を考慮して慎重に投与されます。
局所麻酔: 肋間神経ブロックや硬膜外麻酔など、手術部位に直接作用させる局所麻酔薬は、術後の疼痛を効果的に軽減し、全身麻酔薬の使用量を減らすことができます。特に胸腔内手術では、肋間神経ブロックが非常に有効です。
持続点滴: 鎮痛剤をポンプで持続的に点滴することで、安定した鎮痛効果を維持できます。

2. 胸腔ドレーン管理

術後に留置された胸腔ドレーンは、胸腔内の血液、滲出液、空気を排出するために極めて重要です。
モニタリング: ドレーンからの排液量、性状(血液、漿液、膿など)、空気漏れの有無を定期的に注意深く観察します。排液量が急増したり、性状が変化したりする場合は、術後出血や感染症の兆候である可能性があります。空気漏れが持続する場合や、術後数日経っても改善しない場合は、気管支縫合不全や肺実質からのリークを示唆します。
ドレーンの維持: ドレーンは閉鎖式のシステムに接続し、逆流を防ぎます。定期的にドレーンをフラッシング(洗浄)して閉塞を防ぎ、挿入部位の清潔を保ち、感染のリスクを最小限に抑えます。
抜去のタイミング: 排液量が減少・停止し、空気漏れが認められなくなれば、ドレーンを抜去します。通常、術後1~3日程度で抜去されることが多いですが、症例によって異なります。

3. 呼吸管理と酸素療法

術後は、犬の呼吸状態を注意深く観察し、必要に応じて酸素療法を行います。
酸素吸入: 術後早期は、残存肺葉への負担軽減と組織への酸素供給のために、酸素ケージや鼻カニューレを用いた酸素吸入が必要となることがあります。
呼吸数のモニタリング: 頻呼吸や努力性呼吸が見られる場合は、痛み、胸水・胸腔内空気貯留、肺水腫、あるいは肺炎などの合併症の可能性を疑います。
ネブライザー: 気管支内の分泌物を潤滑にし、排出しやすくするために、生理食塩水や気管支拡張剤を用いたネブライザー療法が行われることがあります。

4. 合併症とその対策

肺葉切除術後に起こりうる主な合併症とその対策です。
術後出血: 術後数時間から24時間以内に発生することが多く、ドレーンからの大量の排液やショック症状として現れます。軽度の出血は輸血や保存的治療で管理できることもありますが、重度の場合は再開胸による止血が必要になることがあります。凝固系検査の異常がある場合は、術前から治療しておくことが重要です。
持続性空気漏れ(Persistent air leak): 気管支や肺実質の縫合が不完全な場合に発生します。ドレーンからの空気漏れが術後数日経っても止まらない場合に診断されます。軽度であれば自然に閉鎖を待つこともありますが、重度の場合や長期化する場合は、再度手術を行い、空気漏れの原因となっている部位を修復・再縫合する必要があることもあります。
感染(胸膜炎): 術野の汚染や術後の細菌感染により、胸膜炎(胸腔内の炎症)や膿胸が発生することがあります。抗生物質の適切な選択と投与、ドレーンによる排液、場合によっては胸腔洗浄が不可欠です。
無気肺(Atelectasis): 残存肺葉の一部が虚脱し、ガス交換ができなくなる状態です。疼痛による呼吸抑制、気管支分泌物の貯留などが原因となります。適切な疼痛管理、体位変換、ネブライザー療法、時には物理療法(チェストパーカッション)で予防・治療します。
肺水腫: 特に術前の心機能低下があった犬や、大量の輸液が行われた場合に発生リスクがあります。呼吸困難やピンク色の泡沫状喀痰として現れることがあります。利尿剤の投与や心機能サポートで管理します。
不整脈: 術中のストレスや疼痛、電解質異常などが原因で発生することがあります。心電図モニタリングにより早期に発見し、必要に応じて抗不整脈薬を投与します。

5. 栄養管理と活動制限

術後早期から、犬の消化器系が許す範囲で栄養摂取を再開させます。食欲不振の場合には、食欲増進剤や高カロリーの流動食、あるいは経鼻カテーテルや食道瘻チューブを用いた強制栄養補給も検討されます。
活動は、術後数週間は制限し、安静にさせます。激しい運動やジャンプは控えさせ、創部の保護と回復に努めます。定期的な散歩は徐々に再開し、犬の回復状況に合わせて活動レベルを上げていきます。

術後の集中管理はチーム医療の真骨頂であり、獣医師、獣医看護師、麻酔科医が密接に連携し、犬の生命徴候、苦痛のサイン、ドレーンの状況などを常に監視し、適切な処置を行うことで、安全で円滑な回復を促します。

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